“どの時間足でどの方向か決まってる?”
”壁・岩盤あるか?”
”その高安値、認識される?”
“反転したか?”
“動きすぎていない?”
“それ、上位足でどう見える?”
“シナリオ以外では逃げない覚悟はいいか?”
『メンタル』という言葉が出てきても、
んなアホな、いくら伸びないところで我慢したってだめなところはだめ、
損切しないと、と思って鼻で笑ってました。
それはそうなんですが、
ここ最近にきて、『メンタル』はやっぱり
トレードとは切っても切れないものだと学びつつあります。
別に、含み損を「我慢する」強い心を持ちなさいとかそういう意味じゃない。
それは強いとは言わない。
「我慢」ではなく、考え方を変えることによって
トレードに対する心持ちが変わってくる、という話。
私が学んだのは、
一回一回のトレードは決して期待通りの結果が必ず出ることはなく不確定なもので、
勝敗はある一定の確率をもってランダムに起こりうるということです。
つまり確率的に考えるということなのですが、
そのためには、その確率が導き出せるくらいの
数多くの試行を繰り返さなければならない。
これが曲者で。
勝率によって、試行を繰り返していったときにだいたいその勝率に収まる、
という試行数、母集団の数が統計学的に決まってあるそうです。
しかし、そもそも勝率のわからないルールについて統計を取ろうとするとき、
いったい何回トレードすれば、正しく勝率が求められるのかすらわからない。。
とにかく、同じルールでトレードしまくれよ!ということらしい。
そうやって、同じルールでトレードして
サンプルをとるということだけにフォーカスするんだと。
一つ一つの勝敗についてはもちろんカウントするので気になりますが、
そのうち損益そのものをあまり気にしなくなり、
本質的にちょっとでも優位性のあるルールであるなら、
いつのまにか総合してみると利益が残っていた、という結果がもたらされる…
それがカジノやギャンブルのディーラー側が商売として成り立つ理由だそうです。
ディーラー側にすれば、多くのお客相手にとんでもない数の試行を毎日繰り返しているわけだから、
結果はすべて確率的な期待値に収束するというわけなんですね。
そんなわけで、私も、とにかく同じルールのサンプルを集めようということで、
100回損切りに合うくらいをめざそうかなと。
(もしかして全然たりないかもしれないけど)